久しぶりの更新となります。
仕事が忙しく、なかなかブログ更新できずにいました。
さて今回は「人生100年時代」について書いていこうと思います。
医療の発達により毎年「平均寿命」が伸びています。今後もその流れは変わらない事と思います。
そのため人生100年生きる事が当たり前となっていくことでしょう。
但しこの人生100年というのは、大変厳しい時代の到来であると私は思います。平均寿命以外に「健康寿命」と「資産寿命」という概念があります。
健康寿命というのは文字通り健康でいられる寿命のことです。介護や医療に依存せずに自立した生活ができる生存期間を指します。いくら長く生きると言ってもずっと寝たきりや病気にばかりかかっていては長寿を全うしたとは言い難いですよね。つまり若い内から心身共に健康を居続けなければいけないという事です。
資産寿命というのも文字通り、老後の生活費を指します。当たり前ですがお金がなければ資本主義社会では生活できません。生活苦になった高齢者が犯罪を繰り返すなんて事もある世の中です。お金が底をつけばいくら健康でも心のゆとりは一切生まれません。老後破産なんて事になったらお先真っ暗ではないでしょうか?
資産寿命を増やすには、資産構築を若いうちから身につける他ありません。会社や国が守ってくれるなんて甘い考え方は捨てた方がいいです。
例えば60歳以降も働きたいという人は増えていますし、これは日本の年金制度に不安を覚えているからだとも言えます。
人生80年のときは20年教育生活・40年社会生活・20年老後生活が一つのモデルでした。しかしながら、人生100年時代ではそういうわけにはいきません。
40年社会生活・40年老後ではとてもやっていけません。少しでも長く働きたいという意向は当然だと思います。但し仕事といっても単純作業や替えが効く仕事では今後のAI化・IT化・グローバル化の世の中には対応できず人も企業も淘汰されていく可能性が高いです。
我々個人は生涯学習を通じてダイナミックな産業構造の変化に対応していかなければいけません。人的資産を高めていき自分のマーケットバリューを上げていく事で稼ぐ力を身につけていき、そこから資産を構築していく事が大切なのです。
時間は誰にでも平等です。平等だからこそ「個人差」がつきます。現状に不満・不安を抱いても明日はやってきます。現状を嘆く暇があれば少しでも学習した方がいいと思います。
大変な世の中だとは思いますが、普段の努力を怠ったものの末路は惨めなものになるのではと思います。やがて労働市場から締め出され単純労働・低賃金になる可能性があります。
時間が平等であるからこそ、何もしなければ時間は無情にも流れ人は加齢にジリ貧となり悲惨な結果になる気がしてなりません。誰にでも生きている限り来年はやってきますし、5年後、10年後も訪れるのです。
考えたくないかもしれませんが、5年後は今の自分の年齢に5歳を足します。10年後は10歳を足すのです。そのとき自らの人的資本はどうなっていますか?健康でいれていますか?今の仕事はありますか?資産や貯蓄は増えていますか?
何もしなければ、10代はともかく年を取れば取るほど現状維持すらままならないのではないでしょうか?それくらい今の現状に危機感を持たないといけないと思います。
私自身が30代ですが、今の親世代と同じ様な生き方・考え方では通用しないと痛感していますしそのような生き方では人生終わってしまいます。
人生100年時代と言われているにも関わらず、国は大きな変化に対応しきれていないと感じます。結局高齢者の方が人口が多いために国は高齢者寄りの政策を続けなければ自分たちが選挙に受からないという事を無視できないのでしょう。
しかし世の中はますます変わっていく事でしょう。産業構造の変化によって時代に合わない産業は淘汰され、新しい産業が生まれる、また生き残る産業も変化をうまく捉え形を変えて生き残るといった具合です。
変化に対応するとは、自らの知識の新陳代謝をしていかなければいけません。
そして資産寿命を伸ばすには「資産構築」が欠かせません。稼いだお金を消費してしまっては元もこうもありません。
毎月決まった額を貯蓄・投資に回し、労働収入・副収入で毎月のキャッシュフローが増加したらその割合を増やしていくそれが資産構築には必要不可欠だと思います。
仏経済学者のトマ・ピケティ氏の「r>g」という不等式で格差が拡大することを説いたわけですが、rの住人になれるよう日々努力をしなくては残念ながら資本主義では生き残れないのです。また経済格差が起こる一つの要因として時間が挙げられますが、氏は時間の経過と共に資産構築に差が出ると言っています。つまり何も努力しない人には格差によって貧しい老後が待っているという現状があるということを忘れずに生活をしていきたいと思います。
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