人生100年と言われている時代に「投資」を始めた方が良い理由を今回の投稿では書いていきたいと思います。
◆社会に出て10年以上経過しましたが、10年経過して思った事は収入が伸びないという事に悩みを持つ事になりました。
今は「年功序列」社会は崩れていますが、完全な成果主義が日本に浸透している訳でもありません。
収入が高度経済成長の時の様に増えていけば、このような悩みはほとんど感じなかったでしょう。
また、産業の構造変化によって企業の新陳代謝が早くなり、例えば10年先の会社の将来にも不安を覚える様になりました。
産業構造の変化の大きな要因としては「インターネット」時代の到来があります。この時代の変化に素早く対応し、有益な学習をした一部の優秀な人間は稼ぐ事ができるでしょうがその変化に対応できない企業や人はどうしても淘汰された存在となってしまいます。
◆収入が増えない点に大きな悩みを持つと同時に将来不安が頭をよぎります。何故ならば長生きすることがお金がない事によって「リスク」と考えられるからです。
お金を増やすには、「支出」を減らし「貯金」を増やす事は誰でも簡単に思いつき実行しやすいのですが、「節約」だけでは「豊か」な生活は送れません。
そして支出を減らすには前提条件として「収入」がなければいけません。その「収入」が「労働収入」しかなければ、例えば会社倒産リスク・自分が病気で倒れるなど
会社からの収入が途絶えた瞬間に「収入」の分野はなくなります。しかし人は普通に生活するだけで「お金」を必要としますから、最低限の生活をするにも「お金」=「コスト」がかかるのです。
◆つまり、労働収入だけしかない会社に依存している状況では収入が途絶えた際に資本主義で言うとただ単にコストを払うためだけに生活しなくてはならずそれすらも間々ならない状況に陥った場合は、犯罪に走ったり、ホームレス状態となり得ます。
もし自分がそのような状況になった場面を想像してみたら、生きている価値はあるのか疑問に思います。
1つ思う事は、心身共に健康ではない状態が想像できます。言葉は悪いですが、生き殺し状態ですよね。そんな状態で毎日同じ時間がただ空虚に流れてしまったら本当に廃人状態です。
話が飛躍してしまいましたが、そうでなくともこの「コスト」の部分である「消費」は徐々にインフレが進んでいます。
消費者物価指数と言う指標があります。これは消費者が購入する物価やサービスを表す指標ですが、これが緩やかながら上昇しているのです。
2015年を100とすると2019年4月では102となっています。これは4年前に100で買えた商品が102円になったという意味です。また税が上がればさらに物の価値や値段はさらに上がります。
物価が上昇する要因としては「円安」が挙げられます。アベノミクス前のドル円は75円~80円だったものが、一時125円まで円安となりました。現在は111円付近ですが。
日本は物を物の原料を海外から輸入しており、その原資の円が安くなっているのでどうしても調達コストがかかり企業は値段を挙げざるを得ない。それが一つの要因だと思います。
一方で働いている人たちの賃金はほとんど上がっていません。非正規労働者の数は今後ますます増えていく事でしょう。
◆労働収入の今後の劇的な伸びは見込めないとなると、他に収入源を探すしかありません。その代表格が株・債券・不動産などによる「金融資産」と言えるでしょう。
貯金というのも厳密に考えると「投資」に該当します。今では考えられませんが1990年頃の日本は銀行の定期預金でも「6%」の利子がついていたとの事でした。
マイナス金利時代の今では、銀行の利子ではインフレに負けてしまいます。インフレに負けないためには、どうしても「株式投資」や 「不動産投資」が選択せざるを得ません。
しかし何の知識や経験もない素人が「投資」を始めると投じた元本を毀損してしまいます。それが長い年月をかけて「労働」と「節約」したお金であればもう「投資」なんて二度とやらないとなるのが普通です。現に私自身も何度もそのような気持ちになった事があります。
要は「マネーリテラシー」がなく投資や経済・資産の本質が分かっていないからこそそのような事になったのだと反省しています。
◆投資を始めるならば、元手となる「資金」と「知識」を学ばなければ「投資はギャンブルだ」「損する」「危ない・怖い」となって投資をいつまでたっても始めれません。また簡単に儲かるや上記に書いた経済事情から「詐欺」に合うケースも多々見受けられますし私もその一人でした。
つまり「金銭評価できないが資産となる得るようにする」ためには「学ぶ」事を続けなければ「お金」は増えませんし、「将来不安」はいつまで経過しても消えません。
今まで資産を増やした事が重要なのではなく、今後も稼ぐ事ができるように学び続けなければ「労働収入」も「金融資産」の増加も望めません。
時間は平等です。しかし平等であるからこそ、正しく努力をした者には大きく「味方」となり「思考停止」状態の人間には「敵」ともなるのです。
何故ならば、生きている限り「明日」はやってきますし「一年後」もやってきます。
必死に「努力」した人間と「思考停止」状態の人間ではその中身に大きな差が出ます。努力した人間には何かしらの「結果・成果・自信」が身につくでしょうし
場合によっては「金銭評価できる資産」が大きく増加している可能性もあります。
一方で「思考停止」状態の者にはただ無常に時間が流れ、年老いていく可能性があります。
人は年を重ねますが、年を重ねれば重ねるほど「気力・体力・知力」は衰えてるのが一般的です。「現状維持」や「安定」など保守的な考えでは衰退してしまうのです。
現状に「危機感」「疑問」「不満」を持っているならばそれを「将来の利益」になるよう「自己投資」をする事が大切なのだと「令和」を迎えて思った次第です。
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